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店舗紹介

蒲団屋の道程

店内風景

古き良きモノを残す目と新しきモノを取り入れる勇気それを見極める叡智正直が最大の戦略であることを原理にする

大正14年創業より「渡部製綿工場」「渡部ふとん店」「寝具のわたなべ」と時代とともに変革し店名を変え、昭和63年9月15日皆様が心豊かな生活を始めたいと考えておられることを感じて、夢;空;生活提案Shop 蒲団屋 を始めました。

あれから15年、皆様は私達の生活提案がなくてもご自分で、自分だけのオリジナルの生活をイメージ出来るように成長されました。
私達はこの成長を素直に喜びます。15年前の目的はもはや不要になりました。
また、蒲団屋自身にも忘れてはいけないモノ作りの心が知らず知らずのうちに薄れてしまったこことを否定できません。お客様のニーズに応えた品揃えをしてきた15年でありましたが、大手メーカに依存した品揃えにはマスプロダクションの影響が避けられませんでした。

平成16年6月18年 蒲団屋は、その命名の由来のままの蒲団屋であるべく、モノ作りの心に帰る決意をしました。

21世紀新しい価値観において、皆様と共に何が創造できるか、何が次世代の子供達に伝えることが出来るか。新しくもあり古臭い蒲団屋に果たされたテーマです。

  • 創業当時より使っている、綿を量る棒はかり。

    大正14年祖父、渡部和吉が職人気質で真面目なモノ作りによって「渡部製綿工場」を清水町2丁目にて創業松山の各所に自転車の後ろに、打ち直し綿、玉綿などを縛って、卸し回っていました。

  • 大街道3丁目に移転当時風景、道路が舗装されてない状態。

    父母、渡部操、千秋、が昭和37年清水町から大街道3丁目にて時代背景に合わせて寝装品全般を扱う「渡部ふとん店」を新装開店させ,さらに昭和51年店舗新築し、店名を「寝具のわたなべ」に改めて営業してました。この時代には、ドンスの婚礼ふとんセット、ウレタンマットレスやお年寄りのお祝いで紫のふとんなどがよく売れてました。

  • 蒲団屋なのに、ふとんが一枚も売っていない、〇〇蒲団屋ではなく店名がシンプルに蒲団屋

    昭和63年9月15日、いままでの父母が培ってきた取引先メーカー、顧客様を断ち切り、お客様の多様なニーズを感知して、従来の寝具店の業種から業態店に変革して生活を楽しむホームファニシング(レノマ、コムサ、ワイズ、ISSEY MIYAKE等)のブランドで寝室、トイレ、インテリア、食器、テーブル等部屋全体をトータルコーディネートが出来る、夢;空;生活提案Shop蒲団屋に改装して、三代目大番頭渡部元吾として新たなスタートを始めました。

  • その店名の由来のままの蒲団屋であるべきモノ作りの心に帰る決意をし、メーカーに頼らないお客様が欲しいモノを提案提供する形態に変革しました。

    平成16年6月18日、ロープウェー街の景観整備3年掛け完成。本物のレンガ等を使用した道路景観整備、電線の地中化、ファザード整備に当時理事長として住民の方々の合意形成作りに奔走して素晴らしい町並みが出来ました、是非見に来て下さい。
    蒲団屋も同時に天然素材を使用したモノづくり、羽毛ふとん工場視察などしてモノを売らない物語をお客様に伝えて納得していただける品揃えに変え、店での体験お試し寝していただけるようにしました。

蒲団屋の考え

真に良質な睡眠の供給者として誠実な商いを通じて、社会に貢献をする。お客様にとって必然的に愛される蒲団屋を目指す

私が眠りの道具たる寝具に携わりおよそ40年。
試行錯誤を経て今日にいたり、やっとシンプルな品質に本質を感じ取るに至りました。

  • その時代に必要とされるべく商品のあり方や魅了づくりを、
    蒲団屋はいつも考えています。

    「蒲団屋」は、その命名の由来のままの「蒲団屋」であるべく、使う人のことを考えた質のよいオリジナルブランドの商品づくりをしています。

高度に単純な品質 蒲団屋 コンセプト

  • 1、高度に単純な品質 

    付加価値と言う言葉に飾られた過剰品質を拒む。
    また、価格破壊と言う言葉に飾られた過小品質も拒む。
    過剰でなく、過小でない、単純でかつ高度な品質を社会に提供する。

    2、安 全

    高度に単純な品質は安全を前提とする。
    身体に悪い思われるものを遠ざける。
    出来る限り安全な天然素材を使う。
    化学薬品は、可能な限り、その仕様を避ける。

    3、コストダウン

    品質の低下の伴うコストダウンは容易であり、それを拒む。
    高度に単純な品質を保ちながら、如何に価格を下げるかを追求する。

福助人形のこと

身体にいい、環境に優しい、提案、職人技、本物継続のための新生

福助の由来には諸説があります。その一つ、安藤広重の「木曽街道六十九次」の柏原(滋賀県山東町)は、伊吹もぐさで知られる「亀屋」を描いたもので、店の右端に人間より大きい福助人形が置かれている。福助と言う番頭は正直一途、いつも裃を着て少額の客でも大事にしたので店は繁盛、主人はその実直さをめでて彼を人形に形どったという。
とにかく福助は、’福を招く神’としてまつりあげられ、七福神の一つになるほどの神格を獲得するものでした。

  • 店名を「蒲団屋」に変えたときにアーケードの上に設置した蒲団屋の福助

    昭和63年、祖父、父母が長年築いた取引先、顧客様を遮断した。しかし、彼らの一人一人のお客様に最適なモノを丹精込め作り上げる姿勢に心はせ(あきんど)としての気質にこだわりまた、(あきんど)の鏡、蒲団屋福助人形を設置し、モノ作りの心、先代達に感謝を込めその代名詞として蒲団屋福助を作りました。

  • 開いた目、薄めた目。大きく空いた口、小さな口。変なのー

    蒲団屋は松山城の登山口に当たるロープウェー街だから、観光客等の目にもとまる。若いギャルがキャーと寄声を上げながら、パチリと撮影しているのを良く見かけた、目がおかしい?口が2つ?
    蒲団屋福助には意味があるんぞな。
    開いている口は宣伝、つむってる口は商人道の信義を表しています。目も同様です。

  • 正月には、春夏秋冬に塗られた福助人形など店頭に鎮座し、一年の計は元旦にありと。

    アーケードの上に雨ざらしに置いていた福助人形、今は衣替えして店の中で世相を眺めています。複製で50体作った子福助今は色んな所にもらわれて、15体になってしまったが。皆元気かな?

    遊びココロで小岳氏が描いた、桜吹雪と新緑の春助、日焼け顔と魚泳ぐ海の夏助、紅葉と皿ヶ嶺山系の秋助、霜焼け顔とみかんの冬助、なかなか力作です。

  • 主(あるじ)と大番頭と番犬まる子と蒲団屋福助

    主 蒲団屋3代目、渡部元吾。大学卒業後、京都の「冨紗家」さんに住み込み蒲団学校に通い寝具製造技術を修得、仕入れ販売など貴重体験させていただき商いの基礎を身につけさせていただきました。
    蒲団屋の2階にあるNPO「たねらぼ」さんの支援をさせていただいています。彼らの活動の場東ティモール、南インド、ウクライナ等、現地人の家に2周間滞在して彼らの衣食住、生活文化など肌で感じ考えさせられました。この事はブログの方でおいおい載せていきます。
    大番頭 渡部恵子。睡眠環境アドバイザーの資格取得、当店で扱ってるイタリア、ドルサル社。ベルギー、ratextukuskou社など視察。一番は蒲団屋オリジナル高さ調整できる四部屋枕など企画縫製をしています。
    番犬 ミニチュアダックスのまる子17才足腰が衰えてますが目、耳、口は達者です、おもに寝てます。
    蒲団屋福助、黙して語らず。

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